【1】いい思い出は、いい思い出のままで


旧友と会って、話して、楽しくなったりエネルギーをもらえることもあるでしょう。

反対に、妬みの感情が芽生えたり、複雑な気持ちになることもあるでしょう。

…これは、私がどちらかと言うと負け組のような意識がある故に出てくる不安なのかも知れません。

何の悩みもなく仕事も子育ても自分のことも順調にいっている人なら、そんなこと考えもしないのでしょうか。

そんなことを考えると、虚しくなってしまいます。自分は小さなことにこだわる、随分みみっちい人間だなぁと自己嫌悪に陥ってしまいます。

たまたま子供に障害があり、自分自身も心身の不調を抱えていて、パートで働くことすら出来ないどころか、最低限の家事や育児ですらまともに出来ていないという現状。

それでも不幸だとは思わないし、何やかんやで幸せだとも思います

でもやっぱり、隣の芝生は青い。

その青さを見て落ち込む自分が確かにいるのです。

比べてはいけないとわかっていても、比べてしまう自分がいるのです。


【2】なによりも、エネルギーの消費が激しすぎる


その上、同窓会的な集まりに顔を出すことは単純にエネルギーの消費量が大きいです。

まず、日時の調整、場所の調整だけで疲れます。

いや、私が幹事をやるわけでもなく、ただ日時と場所を知らされてそこに行けばいいだけなのですが、私の特性上「決められた場所に決められた時間に遅刻しないで行く」というミッションだけでものすごく脳と心のエネルギーを消費してしまいます。

前もって家族と予定を調整したり、交通機関を調べたりという準備にも時間を使います。

不可能なわけではありません。ただものすごく、時間とエネルギーを消耗してしまうのです。

さらに、ふだん引きこもりボッチを決め込んでいる私にとって、人に会って会話をするイベント(しかも事務的会話ではなく雑談)というのは、ものすごくハードルが高いです。

いくら学生時代ともに過ごした気の置けない仲間たちであっても、何年も会っていない人たち(しかも大人数)が大勢集まる場というのは、ものすごくハードルが高いです。考えただけでお腹が痛くなるレベルです。

それに、やはり服装やメイクにも気を使います。

久々に会うのだから、あまりにもみすぼらしい格好では行けません。

学生時代からファッションにも疎くけしてルックス的に華があったとは言えない私でも、やはりちょっとはいい女になったと思われたい欲はります。
(全く持って無駄な欲望ですが)

そのために服を新調、いえ、新調せずとも色々コーディネートに悩んだりするために、体力気力、そして時間と金を消費してしまいます。

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【3】エネルギーの消費は、その前後にも及ぶ


しかも私は、日常生活の中に普段と違う特別なイベントや行事が入る度に、前後一週間くらいは確実にコンディションが悪くなります。

1週間前からイベント前の緊張や不安感で調子が悪くなり、なんとかイベントが無事終了した後も、その疲労の回復、イベントのせいで後回しにせざるを得なかった家事や作業の片づけ、そして気持ちの切り替えのために、1週間はかかります。

ようするに、ひとつイベントが入るだけで、2週間つぶしてしまうようなものです。

間違いなく、家事と育児に多大なる支障をきたします。もはや、死活問題なのです。


【3】理解されないかもしれないがこれが現実


私が今同窓会に呼ばれても断ると思う理由はシンプルに二つです。

①自分の現状と他人の現状を比べて落ち込むのが目に見えている。

②単純にエネルギーと時間の消費が大きすぎる。

この二つの理由から、私は同窓会に行きません。

旧友たちと会ってワイワイ騒ぎたい、という気持ちが無いわけではありません。

ただ、それ以上に今の私には、そういう会に参加することのデメリットの方が大きいのです。

だから出席しない。単純にそれだけのことです。

こんな話をすると、エネルギー溢れるエネルギー余剰型人間は「ウソでしょ?」と驚くかも知れませんが、私のようなエネルギー枯渇型人間にとってはこれはまぎれもない現実なのです。


最後に、これだけは言わせて下さい。

それでもやはり、学生時代の仲間や当時の思い出は、私にとって宝物です。

その宝物は宝物のままでとっておいて、丁寧に箱にしまって蓋をするだけです。

捨てるわけではありません。

自分がエネルギー枯渇型であると自覚する以上、短い人生で、限られた貴重な時間とエネルギーをどう使うか。

それを考えたら、昔の思い出はいったん終わりにして箱にしまって、その代わりに新しい人たちとの出会いや前進することにエネルギーを配分する、という考え方はありなのではないか。

エネルギー余剰型人間だったら、昔の思い出と新しい出会いの両方にエネルギーと時間を使えるのかも知れないが、エネルギー枯渇型人間には、そんなエネルギーはないのです。

よって、どちらかを選ぶためには、どちらかを手放さなくてはならないのです。

人生の時間も、エネルギーも、限りがある。

それを自覚すれば、迷いはなくなります。

迷っている暇などないのです。

ただ、もし私が予想以上に長生きして時間とエネルギーを持て余すような事態が仮に到来したとして、その時同窓会の誘いがあったら喜んで出席するでしょう。

ただし、何年も連絡を断っていた付き合いの悪い私に、その時声をかけてくれる人がいるかどうかは神のみぞ知るです。
(そうなって初めて寂しさを覚えて後悔するなら、それはそれでいいやと腹をくくっています)