こちらのブログは当初、きちんと時系列に沿って書いていこうと思っていたのですが気まぐれに書きたいことから書いていくわけのわけらない回想記になってしまいました。


私の中では

「特に強烈に記憶に残っていること」
「人生への影響が大きかった出来事」

などを優先して書いているのですが、読んでいる方にとっては何が何だかサッパリわけわかめだと思います(スミマセン)

とにかくタヒぬ前に脳内の記憶を全てインターネッツ空間に移動して永久保存することでこの世界に永遠に生き続けるための実験ブログでもあるので、不定期ですが重要な記憶から順に書き出し続ける予定です。

板垣死すとも自由は死せずみたいなアレです。

あとでちゃんと整理してワードプレスにでも移そうと思ってワードプレスの勉強してるのですがわけわかめなので酒飲んで酔っ払って半沢直樹見てとっても良い気分~


では前置き終了して本題へ。

酔っ払ってうへへっへへへえっへえh!!!!

☆☆☆私の人生のときめきハイライト☆☆☆

乳児

赤ちゃんらしい可愛らしさの全くないぶちょっとした不愛想な赤子だったらしい。

父曰く「あまりにも可愛くないので人に見せるのが恥ずかしかった」らしい(ひでぇな)

死んだじっちゃんは、私を見て「病院連れてったのか?」と母に言ったらしい(雰囲気や目つきがあまりにも普通の赤ちゃんぽくないので障害でもあるのではと思ったらしい)

母乳もミルクも拒否しカルピスで育つ。


保育園

祖父母宅に同居。母は専業主婦かつ祖父の漁業手伝い。

3歳くらい?から家のすぐそばの保育園に通い始める。


とても大人しい子だったようで、母曰く「お前は大人しくて、いるのかいないのかよくわからない子だった」とよく言っていた。

保育士さんも「マロンちゃんいないと思ったらいつも部屋の隅っこで本読んでます」と言っていたらしい。


暴れん坊の兄とは対照的にとても大人しいお利口さんタイプだったようで、祖父からとても可愛がられる。

空想の世界でひとり遊びに励んだり、階段から転げ落ちたり風呂で溺れかけたりしたことを鮮明に覚えている。

放置子時代

4歳か5歳くらい?で祖父母宅を出て両親と兄の4人でアパート暮らしを始める。

それからは小学校入学まで保育園も幼稚園も入らず自由な放置子ライフ☆

母は未就学児2人家に放置して半日くらいパートに出ていたが、放置子という表現は大げさで、当時(昭和後期)ならよくある家庭環境だったのかも知れない(今だと児相案件だけど)


兄の素行が悪すぎて、よく遊んでいた同じアパートの子の親から「もううちの子と遊ばせないで下さい」と言われて母が泣いていた姿が今でも軽くトラウマwww

私はその子が食べてたお菓子を「私にもちょうだい」って言えなくて、いなくなってから地面に落ちてたやつこっそり拾い食いしたりしてた(おいしかった)

私はそんな風に、とっても恥ずかしがり屋さんで、控えめなお子様でした。

小学校前半(うざい学級委員長)

入学一年前くらいに別の町に引っ越し。

その後約一年ほど自由な放置子時代を満喫した後、晴れてピカピカの一年生に!!!

同じクラスのYちゃんと家が近かったことから親友になり、いつも一緒に行動していた。

私はシャイで内気で人見知りで友達の作り方もわからないタイプだったがYちゃんが非常に社交的な陽キャだったので、Yちゃんきっかけで少しずつ友達と呼べる子ができる。

お勉強は好きで成績も良くマジメな児童だったため学級委員長や班長によく選ばれる。

しかし私のクソ真面目で融通が利かず頑なにルールを守りたがり、なおかつそれを他の人間にも押し付ける面倒くさいキャラが露呈するにつれ、一部のクラスメイトからウザがられることもしばしば。

下校時に何度かおしっこもらしたのも懐かしい思い出。

疲れたしもうネンネの時間だから続きは次回テヘペロ☆


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