こちらのブログなかなか更新できなくてすみま千昌夫。
飲酒しながらグフフフフ!!久々の更新death☆
(メンタル薬飲んでるのでずっと禁酒してましたが我慢できずに解禁しちゃいましたアハハハハ!)
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小3の転校を期に学校で全く喋れなくなった私。
当時「場面緘黙症」なんて一般庶民は全く知らなかったので、お母ちゃんもお父ちゃんも担任の先生もたいそう心配しておりました。
何故!!この子は!!家では!!普通に!!喋るのに!!学校では喋らないんだ!!何故だ何故だ!!
...て、そりゃそうですよね。私自身もなんでこんなことになってしまったのかとお腹モニョモニョしながら渋々学校に行ってました。
勉強は好きなんです。楽しいんです。
でも、転入1ヶ月程で「全然喋らない暗い子」としての地位を確立してしまった私にとって、休み時間とか班での活動とか、そういうのがとにかく苦痛でした。
私の学校での状況を両親がどうやって知ったか、いつ知ったかは記憶に無いのですが、ハッキリと覚えていることがあります。
母が、毎朝登校前に私に言うんですよ。
「今日は学校で20文字以上喋るのが目標だからね!!わかった!?授業で当てられて答えるのは20文字に入らないからね!!友達と20文字だよ!!」
って。
ていうか、何故20文字なの?!未だにその「20文字」というワードが頭にこびりついてるよ、お母ちゃーん(´;ω;`)
当時、授業で当てられて答える時(あと音読や合唱?)だけは、声が出たのを覚えています。
それ以外はひたすら無言でした。一日中。
何か話しかけられても、首を縦にふるか横にふるかで意思を伝えていました。
なので「授業の発表以外で20文字」というのはかなり無理ゲーです。
帰宅後母に「今日は何文字喋った?」と聞かれ、「...3文字(←めちゃくちゃ頑張った結果)」とか答える私。そして「それじゃダメよ〜」という母。
毎日すごいプレッシャーで、苦痛でした(´;ω;`)
せいぜい頑張れよボタンです。


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