最近、献血ポスターの炎上とか血液クレンジングとかの話題に触れて、ふと思い出したことがあります。



それは、10代後半から20代前半にかけて密かに抱き続けた自分の血液を体内から抜き取ってしまいたいという謎の願望でした。


こういう願望が病的なものかどうかはわからないのですが、最近になって一部のメンヘラ界隈で「瀉血(しゃけつ)」なるものが流行っているという情報を得た私。

あれ?これって、私が当時やりたかったことじゃね??


そこで今回は、献血大好きだった私の心の奥に潜む瀉血願望について書き散らします。

※現在は「血を抜きたい」という願望はあまり無いのでご安心下さい。


1. 献血マニアだった学生時代




中学を卒業後、通っていた学校には定期的に(月に1~2回?)献血カーが来ていました。

献血車「ねぇねぇ若者たち!!余ってる血ちょっとちょうだいよ!!リンゴジュースあげるYO!!」

16歳になって献血ができるようになった私は、ドキドキしながらも吸い寄せられるように献血カーへ。


針刺すの痛いよ…怖いよ…

でも…なんか…気持ち良くね…???


血抜かれるの怖いよ…ドキドキ…

でも…なんか…何この感じ…超気持ち良くね????


まだあどけない16歳の私の中で芽生えた、

「献血って超気持ちいい!!!」

というわけわかんね―謎の感覚。


なんというか、自分の中に流れる汚らわしい血を体から外に抜き出すことで、自分の魂が浄化されて生まれ変われるというか、そんな感覚があったのですよ。

しかも合法的に、プロのスタッフが、安全に血を抜いて下さる。

そしてその血が、誰かの役に立つなんて!!!(リンゴジュースとかティッシュまで貰えるなんて!!)


動機は不純だけれど、まさにWinWinの関係!!!


それ以来、献血カーを見つける度に超ルンルンで献血しに行くのが恒例になっていた私。

体重が足りないなどの理由で献血させてもらえない日は、非常にガッカリしたものです。


就職後も会社前に定期的に献血カーが来てくれたので、もう毎回ダッシュで献血しに行ってました。

だって血を抜けて気持ちいい上に、合法的に仕事サボってベッドで横たわれるなんて、天国じゃないですか!!


そんな私も、ほどなくメンタル崩壊して薬を常用するようになり、献血出来ないカラダになってしまいました。

でも50回記念のコップ(?)は貰えましたよ!!

(もう捨てちゃったけどね!!)


2. 「瀉血(しゃけつ)」という自傷行為を知って思ったこと





そして最近、やる気が出ずにダラダラとネットサーフィンしていたある日。

意図的に自分の身体から血を抜き出し、そのことに喜び(?)を感じる人たちの存在を知ってしまいました。


アップされた大量の血の画像を見て、一瞬「うわっ」と思いながらも、 何だかちょっと羨ましいというか、一種のノスタルジーを感じてしまったのです。


えっ!?実際にこんなことやっちゃう人がいるの!?

これ、私が昔やりたかったことそのものじゃん!!


実際、自傷行為で瀉血(しゃけつ)をする人は、注射器などの道具を使うようですが、私の10代の頃はネットも無ければそういう種類の自傷行為があることも知りませんでした。

当時の私がネットで「瀉血(しゃけつ)」の情報に触れていたら、マネしていただろうか?

…と想像すると、たぶん、怖くて行動にはうつせなかったです。絶対。(リストカットも怖くて出来ませんでした)


なので、実際に瀉血している人に対して思うことは、

「危ないよ!!絶対やめた方がいいよ!!」
「でもちょっと…羨ましいな…気持ちいいよね…」
「うんうんわかるよ…血抜きたい気持ちめっちゃわかるよ…絶対気持ちいいよね…」
「でもやっぱり、やめた方がいいと思うよ。(ちょっと弱腰)」


こんな、複雑な気持ちです。

※私は今はそういう願望は無いので昔は羨やましかったと思うけど今は絶対マネしないのでご安心下さい。


3. 献血で瀉血願望を満たしていた?





それから17年の年月が過ぎ、メンヘラ薬無しでは生きられない私は、献血したくても出来ないカラダです。

今では「自分の身体から血を抜き取りたい」みたいな願望はありませんが、慣れ親しんだ献血カーは私にとって、もはや「心のふるさと」みたいなものなんですよね。


そんな今、瀉血という種類の自傷行為があることを知り、たぶん当時の私の中にもうっすらとそういう願望があったのだろうな、と思います。

ただ、とにかく私は怖がりで、痛がりで、自分で行動にうつせなかったんですよ。(うつせなくてよかったんですけどね)

辛くなってくると、市販薬を多めに飲んでちょっとフラフラになるのを意図的にやっていた時期もありました(就職してからです)

でも、せいぜい通常の2倍~3倍の量まででした。

それ以上先には、怖くて進めませんでした。


家庭環境のことで人生で一番辛かった中学生時代にも、カミソリを手首に当てたことはありました。

でも、怖くて切れなかった。

死にたい、自分を傷つけたい、自分なんて大嫌い。

そういう気持ちの奥の奥に、「まだ生きたい」「自分を大事にしたい」「自分が好き」という気持ちが、微量でもちゃんと残っていてくれて、それがストッパーになってくれたのかも知れません。


今でもしんどいことはありますが、生きてて良かったと思うし、時々そう思えなくなる時もありますけど、それでもやっぱり生きてて良かったと思いますし、何とか思いとどまって生き抜いてくれた昔の自分にタイムマシンで会いにいけたら、すんげー抱きしめて、感謝して、ついでにどこかに逃がしてやりたい。

あの頃、献血で血を抜くことでちょっとだけ救われた気分になれていたことは、今でも秘密の思い出です。


結局、何が言いたいかといいますと、

私みたいに不純な動機であれ、献血出来る条件満たしてる人はみんな献血いこうぜ!

っていうお話でした。(最後無理矢理まとめた)


〈注〉もともと瀉血とは、その昔、病気を治療するためのまっとうな医療行為として行われていたそうです。



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